2016.09.26 人生金かよ
今から書く事は本音です。本心です。だから人間失格と言われてもいいと思いながら書きます。
ただでもいくらいなくなって欲しいからって殺そうとかとは考えてないんでそのへんはよろしくお願いします。(第一こんなやつ殺して、ここまでお金をほしがってまで叶えたい夢を潰すほどバカじゃない)
人生金かよと思うことが多々ある。実際そうなんだと思う。
法科の予備校の説明会に行った時にうちの100万の講座も取れない上に奨学金まで抱えてるなら司法など辞めてしまえといった趣旨のことを言われた。
まあまちがいではないと思う。でもそれをすべて覚悟してなんなら最後の最後奨学金返済難民になってしまい社会的に抹殺される可能性すら示唆してそれでも志しているのだ。営業とはいえ大学生のことをナメすぎだとおもう。こっちだって生半可な気持ちで受かると思ってない。ダテに10年以上司法職を目指してるわけじゃないんだ、なめんじゃねえぞ、と思う。アホか。
うちはそんな裕福な家庭じゃない。大学の先生らが稼ぐお金には父親が働き母がパートしたお金を合わせても及ばないのは知ってる。まあでも収入だけみたらごく普通の一般中流家庭クラスじゃないかと思う。不自由だと思ったのは私立の入学金をクラスの他の子は払ってもらえてるのにわたしだけ収めないで国立オンリーでしかダメだったことくらいだ。それでも国立に受かってしまった今となっては別に特に何の不自由もない話である。
ただ法科大学院はちがう。やっぱり予備校の基礎講座くらいは取りたいし、まず国立にかかる授業料は私大のそれより少し高いくらいに高い。そんなとき、もっとお金がある家だったらと何度思ったことだろう。
そんなときに弟を見てると腹が立つ。一時は消えて欲しい死んで欲しいとまで思った。姉失格である。正直でも今もなんでいるんだろうと思いながら書いてるのも否定出来ない。
1日でお前は何時間勉強してる?それで成績がいいならいいけどお前なんて最下位じゃないか。その成績では地元の国立もうからないのに、そんで遠く離れたとこなら受かるかなっつって受けて行って下宿代?480万?冗談じゃない。地元より上ならいざ知らずなんでお前ががんばらなかったがためにお前に余計に480万も払われなきゃいけないん?その受けた大学にどうしてもやりたい研究やら勉強したい学科があるなら大いにどうぞ。だけどレベルだけでそこに行って下宿代使おうというのならわたしは絶対に許さない。その480万円があったらわたしは法科大学院を卒業できる。予備校に通える。それでもおつりがくる。
わたしは絶対に何があっても自分が持ってきたこの目標を叶えてやろうと思っている。そのために血を吐くような努力をすれば叶うんなら血を吐くほどの努力だって絶対厭わない。どんな苦労も絶対に厭わない、それなのになんで、何の目的もなく生きてるお前は同じだけのお金をかけてもらえるん?不公平だと思う。心からそう思う。何の目的もなく遠くの大学に行くならそのお金をわたしにちょうだい。そのお金、絶対に無駄にしないよ。
お前は私がどんな惨めな思いをしてるかなんて知らないでしょう。お金がないから司法なんてやめてしまえと言われて、先生にうちには予備校に通うお金がないからお願いしますいろいろもう一回教えてくださいと頼んで(別にここはいい)、先生に関西大の入学金払いましたと嘘をついて。誰に言ってもお金が無いくせにって思われてるんじゃないんかなって思いながらいるのがどんだけ惨めかわからないからそんなことが出来るんだよ。人に何かを頼む時にうちにはお金がないからと言うことが思ってる以上に嫌なことなんだと知らないから!
どうしてきみはがんばらなくてもお金を払ってもらえるんですか?どうして同じ家に生まれたのにきみはそうなんですか?うらやましい。いなくなってくれればいいのに。じゃあ私の夢が崇高なものかと聞かれたらそう思ってるわけではない。だけど何がどうしてもお金がいる。絶対にがんばるって約束する。それなのにお前にお金を払うからっていうので払ってもらえないの、ほんとに意味がわからない。いなくなってくれれば兄弟じゃあなくなってくれれば下宿代の480万にさらにきみの大学の学費206万が浮いて。参考書代だの合わせて700万以上が浮くのに。そしたらわたしは先生の手厚い指導にプラスして予備校にも行ける、法科大学院に奨学金借りなくても行ける、なによりそのお金で例え最悪の結末になったとしても奨学金返済難民になる可能性を減らせるのに。
などとひたすら思う初秋の日。
なんだかいろいろ書きたい放題やってしまいましたね。
第3クオーター、気を引き締めてがんばります。
2016.08.25 ✩ビニールの城✩
さて、楽しみに楽しみにしてきたビニールの城を観てきた
5月に当選が決まって大泣きしてから今日まで、まだまだって思ってたのにあっという間だった
間にあったあまりに多すぎるハプニングはさておいて
今日という日に特化して…自分の備忘録程度に…
正直なことを申し上げると話自体はほとんどわからなかった
ん?ん?ん?うーん?ん?って思ってたら終わってしまったというのが印象
話の内容自体はどう考えても国語の苦手なダメな文系の典型例なわたしにはちょっと難しすぎたのだろうと思う
だからこそ、演技、場の雰囲気とかいうものをひしと感じることが出来たんじゃないかと思う
人生で初めて舞台というものを見た
これはまちがえられたくないけどなんとなく懐かしいようなそんな気になった
高校時代、毎年の定演で苦しい思いをしながら劇を作り上げていたのをまだ始まっていない舞台を見ながら思い出した
もちろんクオリティは比較するのが失礼な程であるけど、なんとなく開演前の場の雰囲気、私たちが見えていなかったこっちの世界はこんなもんだったかと、やらなくなった今になって知った
舞台に並べられた大量の人形、不気味でしかないなあと思った幼稚な感想だとは思うけど、不気味だなあの一言に尽きた。うさぎのぬいぐるみやくまのぬいぐるみじゃなくて、目を開いて表情のない人形がたくさん並んでるのは想像してもらったら不気味なのはわかってもらえると思う
中身、のストーリーについては、さっきも書いたけど理解していないためここのシーンがこうでここのシーンの誰それがこうだったなどは書けない
ただ、宮沢りえさんはめちゃくちゃ可愛かった
(そしてあまりに細すぎて絶句した)
ボキャ貧なので可愛かったしか見つからないが、テレビで見てたかっこいいりえさんではなくて、喰いタンで出てきた京子ちゃんみたいな、わたしは個人的に似てるな、と思った
剛くんってこんなに声出るんだって思った
いつもめっちゃ静かな印象があるからあのホール内全体にここまで響く声が出るんだと思って驚いた
あと、演出について、水とか結構使ってて、すぅーごいなこりゃぁって思った
舞台っていうのはここまでド派手に演出するもんなんだと驚嘆した
それぞれの役者さんが本当に、なんか、そう、なんといえばいいんだろう、それぞれの役者さんが、すごかった
そこまで考えてお前はそんなチンケな言葉しか出ないのかと言われるだろうけど、ただひたすらにすごいものを見たとしか言えない、そんなものだった
舞台は生モノ、それはわたしにだってわかる
だてに6年も真剣に舞台という場について考えてきたわけじゃない
改めて、確かに舞台とは、パフォーマンスとは生き物だと、今日見せつけられた
どれほどのノンフィクションであってもあの場においては目の前で繰り広げられる現実になっている
人を自分の提供する世界に引きずり込むのは難しい
息を呑むのと引きずり込まれるのとは似ているようで深さの度合いとしては全然ちがう
前に人が提供するものに引きずり込まれたのは多分、3年前の吹奏楽コンクールでの太田市立商業高等学校の演奏を聴いた時だったと思う
なんというか、「上手いから息を呑む」という団体は他にもいくつかあったけど、ここの演奏は、終わったあとに制服のスカートに涙でシミができていた
この学校は確かこの時県で1位ではなかったと思う
だけどわたしは何を考えずともスカートのひざがビショビショになるくらい涙が流れた
上手ければいいってもんじゃない、順位が上なら人を引きずり込むことが出来るってわけじゃない
もちろん高い技術は必要であるけど(このときの太商は金賞代表はとったわけだし)、人を引きずり込むって、それほどわけのわからないことなんだと思う、定義が曖昧な
今日の舞台、終わってから頬を涙が伝った
話の内容は理解していない
それでも、役者が提供するその場とその世界に圧倒されてしまった
その世界に引きずり込まれたし、その2時間5分は紛れもなくわたしにとっての現実は舞台の中の世界と同じ出会ったんだと思う
カーテンコール
こちらがお辞儀をしたいくらいだと何度も思った
こんな世界を見せてくれたこの役者陣を始めとする制作側には心からの感謝をした
さてさて舞台本体はこんな感じ
つづいては剛くんに特化して(いかんせんわたしは剛くんのヲタク)
最初の登場シーン
……ほんまもんの森田剛だ…って思った
劇中
…この人こんなに声出るんだ…って思った
最後見上げた先に剛くんは何を見ていたのか
朝顔は何を見ていたのか
あと、歌うシーンが何回かあるんだけど、思ってたより細いキャラメルボイスじゃなくてしっかりした声で…!?!?!?ってなった…
カーテンコール
可愛い、ひたすら可愛い、朝顔の森田剛から剛くんに変わった瞬間だった
座長、最後に登場
背ェ小さい!!可愛い!!!森田剛!!!可愛い!!!!!!
世間からはヤンキーみたいに思われてるらしいけど、もはや150°でおじぎしてる剛くんめちゃくちゃ可愛かったよ!!!!!そしてこの人はこんなにも丁寧な人だよ!!!!!好きになってよかった!!森田剛と同じ時代に生まれることが出来てよかった!!!!!!!Vの中では剛健ちゃんでいっつも悪ガキコンビだけど、座長だった!!!しっかり役者陣の座長!って感じだったし、剛くんんんんってなったカテコでした!
何度も何度も剛くんとりえさんと荒川さん出てきてくれて、何度もおじぎしてくれて何度も頭を下げたくなった
最後の最後、はけるときに客席に手振ってくれたの、生きててよかった、わたしほんとに生きてて、この平成の世に生まれて生きてよかったと心から思った!カテコは今度そのことで涙が止まらなかった!!!!!!!!!
総括
人生で初めて舞台をみて
人生で初めて森田剛をみて
プロのプロたる姿を見た
これは役者陣の方全員そうだし演出も
ここまで突き詰めるもんなんだ
あまっちょろいもんじゃないんだ
中途半端なもんじゃないんだ
そしてプロは、これからさらに突き詰めていくんだ
と思った
法律家のプロを目指す身として
自分の甘さにも気づいた
わたしはいつもそういうんにつなげないと頑張れないからよくやるんだけど
目指すと公言してから、どれだけ勉強した?そんなに甘い道じゃないでしょう
そしてそれに仮にその甘さを持ってしてたどり着いたとしても、本当のプロとは言えないでしょう
本当のプロフェッショナルっていうのは突き詰めて突き詰めて、それでも追求し続ける姿勢をなくして実現し得るものではないと目の前で見せつけられた
一時、第一学期第二学期単位を落としたらこのチケットを誰かに渡してしまおう、と思っていたことがある
それくらいやらないと勉強しないと思ったからだ
それでも今日行って本当によかったと思う
逆にその理由で行かない方が人生にマイナスだったと思う
会社法の単位を落とした
でも今日本物のプロを目の前で見せてもらったことで、自分の甘さを改めて問うことができたし第三学期から、そしてその先も、本当のプロってなんだろうって思いながら自分の甘さと向き合っていく機会になったと思うから、こういう理由だったからこそまた1つ多くを得たんじゃないかと思う
明後日からまたバイトとインターンと集中講義におわれる日常が戻ってくる
今日まではビニールの城という大きな楽しみがあったけど明日からはないわけである
だけど、今日シアターコクーンの劇場を出る時に、今度この人に会う時にはわたしはもっと誇れるような人間になると目標を立てた
昨年嵐のコンサートに行った時、今度この人らに会う時には自分が納得する、自信が持てる道を選んでいるようにする、と心に誓ってヤフオクドームをあとにした
そしてそのとおりわたしは検察官という目標に自信を持っている
今度会うときには自信を持って会えそうである(当たればの話)
今度コンサートなり舞台なりでお目にかかる時には、誇れるような人間になっていれるように、毎日を過ごしていきたい
なーにが備忘録程度に…だ…気づけば3350字を超えている
原稿用紙概ね9枚弱に相当するだろう書き終わる頃には…
うん、蜷川さんの追悼公演、これなら剛くん、蜷川さんはよくぞ作り上げたと言ってくれるんじゃないでしょうか
少なくともそれが舞台を見た客の感想
すごいもんを見してもらった
すごいもんを見た
月並みだけれど今度の舞台も、絶対見に行きたいと心から思えた
2015.08.15 将来のこと
将来のこと?うん、将来のこと
どこに行っても将来どこいくの何になるのって聞かれる
ずっと国家一般で検察事務官それも東京地方検察庁専願でって言ってきた
いやちがうな、そんなことでさえ言い始めたのは最近だったんかなあ、ゼミの自己紹介では官庁系だから東京都庁の公務員になりたいと言ったんだったからなあ
事務作業がわたしは大嫌い
苦手
耐えられない
大切な仕事だと頭でわかってても同じ作業になると頭がおかしくなってしまう
だから事務作業できる人をわたしは尊敬してるんだけど
それなのにいいのかいいのか、事務職受験で本当にお前はいいのかとずっと問うてきた
だから検察事務官になってちょっとでも刑法に携われたらと思ってた
刑法好きだし、事務官っつっても事務だけじゃなさそうだし
もともと何の希望もなかったわけじゃあない
小学校3年のころからひたすらに検察官になりたいと言ってきた
その気持ちはほんもの
じゃなかったら10年くらい揺らぐことなく法学部なんていい続けてないと思う
なんでやめたのか
難しいから、なんて気はさらさらなくて試験の難易度ってわけじゃない
この世界には並行しえない希望を選択しなきゃ行けない時が存在するんだって知ったからだと思う
ずっとずっと、東京のネオン街に憧れてきた
人が人に関心を持つことなどしないような、東京都心の人ごみが大好きだった
将来は自分だってあんな中で人に関心を持たずにただ仕事のことを考えながらあの大きな通りを歩く人ごみの一部になるんだってずっと思ってきた
地理とかで都心のネオン街の写真を見る度に、いつかこの光の中に消えていくように死んで行きたいと何度も何度も思った
多分理解なんてしてもらえないと思う、してもらえた事はない
それは群馬から岡山にでてより強く思ったことであって、都心で永住したいと、都心と、みんなには冗談だと思われるけどほんとに心中したいと思うくらいにそこに住みたいと思ってたし今でも思ってる
それが全国転勤って
検察官が全国転勤なんてそんなこと小学生のわたしでも知ってた
でも自分がどれほど都心に憧れてるかを大学に入って身をもって知った
全国転勤なんてするもんじゃない、ありえん絶対嫌だと本気で思っていた
2つをはかりにのせたら都心に行きたいという気持ちが勝った
だからわたしは都庁だとか、あとは検察でありながら転勤は東京地検内だけだった検察事務官を目指そうと思った
だけど、そうやっていろんなとこで聞かれて答える度に、これでいいんだと思い込ませる自分がいたことには薄々気づいていた
最後の決め手だったのが、ロースクールには行かないのって問われた時だったと思う
あのときわたしは確かに最後にははいと答えた
けどその答えるまでの数秒にいろんなことを考えた
いや予備試とか考えないし
ロー行かないとここで言えばそれは先生に向かってわたしは検事にはならないと宣言するのと同じだと
それでほんとにほんとにいいんですかと
結局問い直した
今度は、人生の中でいかに多くの夢を叶えるかということに執着しようと決めた
まず後輩になりたい
そして検察官になりたい
都心に住みたい
幸せな家庭がほしい
自分の好きなアイドルと同じ東京の人間になりたい
法律をずっと使っていきたい
勉強をしたい
それをこの短いこれからの人生で出来る限り叶えるには?っていうことに執着しようって決めた
そしたら検察官になるのが一番いいと気づいた
都心に住むのは、東京の人間になるのは退職してからできる
調べてみたら家庭だって持てる
もしもわたしがその検察官ではない道に行ったら都心に住むのは早くなるけど、ほかのやりたい事は十分に実現できなくなると思った
だったら先に検察官になってやろうって思った
だから検察官になってやろうって思った
小学校中学校高校ってずっと卒業文集なり進路希望なりに曲げることなく書いてきたその道を志し続けようって決めた
そらーそんなに甘くないのはよくわかってる
血を吐くような努力をしたってかなわないことだって十分ありうる
それでもわたしは1度きりの人生で自身の努力とそれに付随する結果に賭けてみたい
そう思う
好きな言葉で、人生が例えばポーカーのようにカードチェンジできたとしても俺はノーチェンジでゲームを進めるっていうのがある
これは、いや発言者健くんなんだけど、健くんは人生はやり直しが効かないスリリングなものだから面白いってことを言いたかったんだけど、私はとりあえず、ノーチェンジでいいと思えるような満足な選択をしてやろうと決めた
これが19歳の、20歳を前にしたわたしが自分の人生について、将来について出した結論
ノーチェンジでいいと、きっと思えるんじゃないかと思う
っていうかそうでありたいよね
2016.08.10
教室長の優しさが身に染みた
でもやっぱり塾講の方がいい
ああ明日群馬に帰るんだって
4ヵ月ぶりに地元の言葉を聞くんだなあ…
今度は、未来を選んだから
胸を張って帰れる気がする
2016.08.09
8月9日
炎天下の中めっちゃ買い物した
リークエ高すぎるなんで法関係ってこんなに高いの
進路を決めた
血を吐くほどの努力をしようって決めた
自分の心に従おうって決めた
あとでまた詳しくは書こうと思う
自分がちゃんと書くことで自分の中での決意になるんで
明後日帰るなんて信じられない、早いなあ
何も準備しとらんワリャ
終
2016.07.02
はてなブログに移行して一つ目の投稿をうだうだしてたらここまで引きずりました。
7月2日、今日はV6の太陽三宅健くんの37歳のお誕生日✩
37歳とか嘘をつくな わかるそれな
もともと7月2日ということ、三宅健という名前であることすべてを疑うほどにわたしにとって三宅健という人はフェアリー。わかってもらえませんかね…
なんというか、ものすごく闇が深そうな
とても明るいのに、太陽なのに、どうしてもその明るさだけを鵜呑みにできないというか、なんといえばいいんですかね
闇が深い、そう、闇が
絶対に誰も知らない世界を誰よりもしっかり持ってるんだと信じて疑わないヲタです
それくらいなんか、この世界の人じゃないみたい
自分の家族についてしゃべんないところ
自分の過去についてしゃべんないところ
自分の学生時代についてしゃべんないところ
自分の学生時代の友だちについてしゃべんないところ
37になってあんなに37に見えない年齢迷子なところも
しゃべらないから剛くんの方がわからないとよく思われる気がするけど、わたしからしたら健くんの方がこの世界にいるっていうことがわからない信じられない
剛くんの方が、なんというか現実味がある気がする
健くんの方が、ちょっと目を離してしまったらもう異次元にとんでっちゃって一生見れないんじゃないかと思うような存在、な、気がする
だからこそ三宅健はアイドルなんだと思います
その名の通り悲しいほどにアイドル
アイドルになるべくして37年前の今日、産まれたんだと思う
そう思ってる
それを信じて疑わない
そんな存在がいるから、いつまでもアイドルに夢を見ていられる
それも適度な距離をとりながら
なんといっても「虚像」だから
37年前の今日、三宅健という存在を世にもたらしたこの世界、やっぱり尊いなと思いながらMUSIC DAYのメドレーを愛でてる
やっぱりわたしはわたしで悲しいほどにヲタクなんだと思う
楽しいな、うん、幸せだ
三宅健くん、37歳おめでとう
37年前の今日に、36年前でもなく38年前でもなく、1979年の7月2日に産まれてくれてありがとう
シンメ厨といたしましてはそこは重要です
お誕生日おめでとうございます( ˙˘˙ )♡*